2021年10月11日、ロシア南部のオレンブルク州で、地元で造られた密造酒を飲んだ住民64人が中毒症状を起こし、32人が死亡したというニュースがあり、話題になっています。
そして、SNS上ではロシアのバカ酒飲みの実態が話題になっています。
果たして、バカ酒飲みとは一体何なのでしょうか?
そして、バカ酒のみの原因はロシア国内の厳しい節酒政策と言われています。
密造酒飲酒による事故は、戦後の日本でもあったようです。
【映像】ロシアのバカ酒飲みとは?
バカ酒飲みの意味はこちらです。
ウルトラ バカ酒飲み
うらやましいのが、ここ製鉄工場に務める人々である。
ここには工業用アルコールがある。工業用アルコールは塩を加え、
工場にある機材を用いて特別な加工を施すことで
飲用に耐えるアルコールへと変化する。
彼らは鉄を作ることも忘れ、ただひたすらアルコールを作ることを続ける。
もともとは工業用アルコール、かなりカラダに悪いモノではあるが、そんなことは関係ない。
ただただ、酒が飲めさえすれば幸せ。
ロシアのバカ酒飲みの実態を伝える映像はこちらです。
陽気に実態を伝えていますが、かなり危険な状態ですね。
なぜ人体への危険を犯してまでお酒を摂取したいのでしょうか?
ロシアのバカ酒飲みの原因は国の節酒政策だった!
2005年以降に国内で進められた節酒政策で酒類が手に入りにくくなったことが、密造酒を増加させる原因になっています。
プーチン大統領は05年以降、健康増進のための節酒政策を進めてきました。ウオッカ製造を免許制にして制限、アルコールのメディア広告の原則禁止、公共施設や夜間のアルコール販売の制限等。しかし、厳しい製造・販売規制が酒類の価格を引き上げたり、密造酒のまん延につながっている模様です。特に貧困地域での密造酒による死亡事故が多発しています。
戦後日本も密造酒の事故があった?
日本の密造酒の製造は1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)頃までが最盛期だったそうです。
密造酒製造が盛んだった理由は、インフレによる酒類の価格の高騰でした。
ロシアの密造酒製の原因になった節酒政策とは違いますが、酒類が手に入りにくかったという理由は同じですね。
第二次世界大戦の終戦直後は、急激なインフレによる酒類の価格高騰、および酒類の生産数量の低下に伴い、密造酒の製造が盛んとなった。1947年(昭和22年)の密造酒の推定生産数量五〇万二千キロリットルに対し、正規酒類の製造場移出数量は三四万三千キロリットルと、密造酒の推定生産数量が正規酒類を遥かに上回った[5]。社会的混乱により、闇市では密造した焼酎『カストリ酒』が公然と出回っていた。
引用元:ウィキペディア
カストリ酒とはとは、粗悪な密造焼酎の俗称です。
カストリ酒の瓶にはアルコール度数を記した札のみが付けられており、中身の原料は不明だったそう。
何が入っているのか分からないものを飲むのは怖いですね・・
戦後の日本でも、密造酒を飲んで失明したひとや死亡した人がいたそうです。
まとめ
- 【映像】ロシアのバカ酒飲みとは?
- ロシアのバカ酒飲みの原因は国の節酒政策!
- 戦後日本のも密造酒飲酒による事故があった
以上をまとめました!