2021年9月に総裁選への出馬表明をされた衆議院議員の河野太郎さん。
政治家らしくない破天荒な性格や英語力が優れているなど個性的なところで若い人からも人気を集めています。
そして、河野太郎さんは、元陸上選手という別の顔も持っています。
河野さんは、過去に慶応大学を中退したという経歴もあります。
そして、河野さんの大学中退の理由は、陸上絡みだったとか。
今回は河野太郎さんの大学中退の理由を紹介します。
また、河野太郎さんを始め、河野家は一族で陸上をしており、その陸上歴がヤバいのです!
そこで、河野家の陸上歴がどれくらい凄いのかも紹介します!
河野太郎の大学中退の理由は陸上がらみ?
河野太郎さんは、1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学しています。
河野さんの大学中退の理由は、なんと箱根駅伝に出場できるか疑問に思ったからだそう。
慶應義塾大学の在籍中は、部内で上位10選手中に入れるかな……と思っていましたが、そもそも箱根駅伝に出場できる15校の枠に入れるかどうかわからない。そこで箱根駅伝を断念をして、アメリカに留学することを決めました。
引用元:https://logmi.jp/business/articles/323817
おそらく、いよいよ夢に見た箱根駅伝に出場する目的も持って入学したはずですが、よほど自分の大学の陸上競技に関する実力に自身が持てなかったのですね。
しかし、すぐに気持ちを切り替えて、留学という形で自分の人生を切り開いていったのでしょう。
河野家の陸上歴がヤバい!
河野太郎さんの家系で陸上をされていた人たちは次のとおりです。
- 河野一郎(河野太郎の祖父)
- 河野謙三(河野太郎の大叔父)
- 河野洋平(河野太郎の父)
- 河野太郎(本人)
河野一郎・河野謙三(河野太郎の祖父と大叔父)
河野太郎さんの祖父・河野一郎さんと大叔父の河野謙三さんは、兄弟で早稲田大学競走部(陸上競技部)に在籍していました。
そして、お二人共、箱根駅伝に出場されました。
祖父と大叔父の河野謙三は早稲田大学の選手として何度も箱根駅伝を走っていました。河野謙三は強くて山登りや1区を任されていましたが、その大叔父いわく「兄貴(一郎)は弱かったから一番短い小田原-平塚間しか走らせてもらえなかった」そうです。
引用元:https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8832
兄弟揃って学生駅伝の最高峰の箱根駅伝に出場できるなんて、素晴らしいですね!
しかも、お二人が出場した年に2度も総合優勝を果たしています。
河野太郎さんの祖父・河野一郎さんのことは、NHKのドラマで桐谷健太さんが演じられていましたね!

河野洋平(河野太郎の父)
河野太郎さんの父親の洋平さんも、早稲田大学競走部(陸上競技部)のマネージャーをされていたとか。
早稲田大学が箱根駅伝に出場した時には、ジープに乗って選手をサポートされていたようです。
親父は早大競走部のマネジャーでした。箱根駅伝では、のちに瀬古利彦選手を育てる中村清監督と一緒にジープに乗っていたそうです。
引用元:https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8832?p=1
河野太郎(本人)
河野太郎さんは、慶応義塾中等部・慶応義塾高校ともに競走部(陸上競技部)に所属し主将を務めています。
子供の頃から箱根駅伝を間近に見て育ち、箱根駅伝出場を夢見て陸上をしていたそうです。
そして神奈川県の平塚で育ちました。箱根駅伝の3区〜4区の中継点が平塚にあるものですから、子どもの頃から箱根駅伝を毎年見に行って「いつか自分も箱根駅伝を走る」と思って、ずっと陸上競技をやっておりました。
引用元:https://logmi.jp/business/articles/323817
陸上選手としての実力もかなりあったようで、中学3年生の時に慶應義塾中等部の運動会で歴代記録を叩き出し、今もその記録は破られていないそうです。
俺の4000m競争の記録、まだ残ってる。 https://t.co/zanOgr7jM4
— 河野太郎 (@konotarogomame) January 10, 2020
慶應義塾中等部の運動会のプログラムには歴代最高記録がすべて掲載されていますが、いまだに4000m競走の記録保持者は「河野太郎」と書いてあります。
引用元:https://logmi.jp/business/articles/323817
河野家は一族の陸上歴も華々しいのですね!
まとめ
- 河野太郎の大学中退の理由は陸上がらみ?
- 河野家の陸上歴がヤバい!
以上をまとめました!